プノンペン
(Phnom Penh)
現在の時間
- 2024-10-10
03:03:42 - 日本の時間は
2024-10-10
05:03:42
日本との時差は
-2時間
(インドシナ時間) -
国名、州名
カンボジアの首都
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通貨
リエル(KHR)
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国名コード
KH(KHM)
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国際電話番号(国番号)
855
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2024年の祝日日数
23日
プノンペンの最新ニュース
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カンボジア、人身売買報道の記者を逮捕 米大使館などが釈放要求2024年 10月 3日カンボジアで組織的な人身売買の実態などを報じてきたジャーナリストが逮捕され、米国など諸外国の政府や人権団体が釈放を呼び掛けている。 首都プノンペンの裁判所が発表したところによると、ジャーナリストのメチャ・ダラ氏は先月のSNS投稿で「重大な社会的混乱」を引き起こしたとして、9月30日に扇動容疑で逮捕された。 現地のNGOによると、ダラ氏はこれまでカンボジア国内の汚職や環境破壊、人身売買を告発して...https://www.cnn.co.jp/world/35224563.html
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東南アジアで記録的な暑さ、長引く休校で教育格差が拡大2024年 5月 10日カンボジアは4月、気温38度を記録した。首都プノンペンで学ぶ生徒らはただちに学校から帰宅させられた。 風通しの悪い教室の息苦しいほどの暑さと高い湿度は耐えがたい。ある生徒はCNNに教室にエアコンがないと話す。43人の生徒はほぼ毎日、ミニ扇風機を手に授業を受けているという。 南アジアの多くの国々では気候変動によって異常気象が激しさを増し、頻度も高まっていることが科学的に示されている。5億人近い子...https://www.cnn.co.jp/fringe/35218769.html
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ロシア外相、米との囚人交換協議の用意あり 米バスケ選手有罪の翌日2022年 8月 5日ロシアのラブロフ外相は5日、両国が合意した外交ルートを通じて米国と囚人交換について協議する用意があると明らかにした。ロシア国営RIAノーボスチ通信が伝えた。 報道によると、ラブロフ氏はカンボジアの首都プノンペンでの記者会見で、囚人交換の問題についてはプーチン大統領とバイデン米大統領が合意した特定のルートが存在すると説明。公にどのような発言がなされようと、このルートは有効であり続けると指摘した。 ...https://www.cnn.co.jp/world/35191539.html
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カンボジア当局、ペットのライオンを押収 TikTok上で発見2021年 6月 29日カンボジア当局はこのほど、ペットとして飼育されていた若いオスのライオンを押収した。捜査の端緒となったのは、飼い主が動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」にライオンの動画を投稿したことだった。 非政府組織(NGO)のワイルドライフ・アライアンスによると、このライオンは1歳6カ月で、体重は約70キロ。押収は27日、同NGOと首都プノンペンの当局が共同で実施した。 ライオンは子どもの時から...https://www.cnn.co.jp/fringe/35173057.html
カンボジアの詳細情報
1 面積
181,035平方キロメートル
2 人口
16.9百万人(2023年国連人口基金)
3 首都
プノンペン
4 民族
人口の90%がカンボジア人(クメール人)とされている。
5 言語
クメール語
6 宗教
仏教(一部少数民族はイスラム教)
7 略史
年月 | 略史 |
---|---|
9~13世紀 | 現在のアンコール遺跡地方を拠点にインドシナ半島の大部分を支配。 |
14世紀以降 | タイさらにベトナムの攻撃により衰退。 |
1884年 | フランス保護領「カンボジア王国」。 |
1953年 | カンボジア王国としてフランスから独立。 |
1970年 | ロン・ノルら反中親米派、クーデターによりシハヌーク政権打倒。王制を廃しクメール共和制に移行。 親中共産勢力クメール・ルージュ(KR)との間で内戦。 |
1975年 | KRが内戦に勝利し、民主カンボジア(ポル・ポト)政権を樹立。同政権下で大量の自国民虐殺。 |
1979年 | ベトナム軍進攻でKR敗走、親ベトナムの「カンプチア人民共和国」(プノンペン(ヘン・サムリン)政権)擁立。 以降、プノンペン政権とタイ国境地帯拠点の民主カンボジア三派連合(KRの民主カンボジアに王党(シハヌーク)派・共和(ソン・サン)派が合体)の内戦。 |
1991年 | パリ和平協定。 |
1992年 | 国連カンボジア暫定機構(UNTAC)活動開始(1992~93年、日本初の国連PKO参加。) |
1993年 | UNTAC監視下で制憲議会選挙、王党派フンシンペック党勝利。新憲法で王制復活。ラナリット第一首相(フンシンペック党)、フン・セン第二首相(人民党:旧プノンペン政権)の2人首相制連立政権。 |
1997年 | 首都プノンペンで両首相陣営武力衝突。ラナリット第一首相失脚。 |
1998年 | 第二回国民議会選挙。第一次フン・セン首班連立政権。 |
1999年 | 上院新設(二院制へ移行)。ASEAN加盟。 |
2003年 | 第三回国民議会選挙。 |
2004年 | 第二次フン・セン首班連立政権発足。 シハヌーク国王引退、シハモニ新国王即位。WTO加盟。ASEM参加決定。 |
2006年 | 第一回上院議員選挙 |
2008年 | 第四回国民議会選挙。第三次フン・セン首班連立政権発足。 |
2012年 | 第二回上院選挙。ASEAN議長国。(二回目) |
2013年 | 第五回国民議会選挙。フン・セン首相首班政権発足。 |
2018年2月 | 第三回上院選挙。 |
2018年7月 | 第六回国民議会選挙。フン・セン首相首班政権発足。 |
2023年8月 | 第七回国民議会選挙。フン・マネット首相首班政権発足。 |
出典:外務省ホームページ