カンダハル
(Qandahar)
現在の時間
- 2024-10-09
23:05:51 - 日本の時間は
2024-10-10
03:35:51
日本との時差は
-4時間30分
(アフガニスタン時間) -
国名、州名
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通貨
アフガニ(AFN)
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国名コード
AF(AFG)
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国際電話番号(国番号)
93
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2024年の祝日日数
17日
カンダハルの最新ニュース
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シーア派モスクで自爆攻撃、32人死亡 アフガン南部2021年 10月 16日アフガニスタン南部カンダハルにあるイスラム教シーア派のモスク(礼拝所)で15日、金曜礼拝の最中に自爆攻撃が発生した。国営バフタル通信の同日の報道によると、これにより32人が死亡、少なくとも68人が負傷した。 シーア派モスクでの金曜礼拝を狙った襲撃が起きるのは2週連続。アフガン人の半数超はイスラム教スンニ派の信仰を実践している。 バフタル通信はツイッターで、この日午後、カンダハルにあるシーア派モ...https://www.cnn.co.jp/world/35178148.html
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タリバンの退去命令に住民らが抗議デモ アフガン南部の住宅地2021年 9月 15日アフガニスタン南部カンダハル郊外にある政府所有の住宅地で、イスラム主義勢力タリバン政権から3日以内の退去を命じられたとして、住民らが14日、抗議デモを展開した。 デモには数百人が参加した。参加者2人がCNNと契約する地元ジャーナリストに電話で語ったところによると、退去命令の理由は告げられなかった。 1人の女性は匿名を条件に、「どこにも行くところがない」と訴えた。紛争で家族を何人も失い、貧しい生...https://www.cnn.co.jp/world/35176748.html
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カブール空港、数日内に運用再開か カタールが技術者派遣2021年 9月 5日アフガニスタン駐留米軍の撤収完了後、閉鎖状態が続いていた首都カブールの国際空港の運用が4日、部分的に再開し、援助物質を受け入れた。アフガン駐在のカタール大使が声明で明らかにした。 空港ではカタール派遣の技術チームが民間航空便の乗り入れ再開を目指して修理作業を進めており、同大使は今後数日間内に運用が始まる可能性があると述べた。 大使によると、4日にはマザリシャリフとカンダハルへ向けて国内線の2便...https://www.cnn.co.jp/world/35176215.html
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タリバンが祝勝パレード、獲得した米国製兵器を誇示 アフガン南部2021年 9月 2日アフガニスタンの実権を掌握したイスラム主義勢力タリバンは1日、南部カンダハルで祝勝パレードを行い、米国製の装甲車や新たに獲得した兵器を誇示した。 SNSに投稿された動画には、タリバンがパレードでアフガン軍や米軍の残した兵器を誇示する様子が写っている。これに先立ち、最後の駐留米兵の一団がアフガンを離れ、同国はタリバンの手中に収まっていた。 軍事パレードでは、ハンビー(高機動多用途装輪車両)や装甲...https://www.cnn.co.jp/world/35176070.html
アフガニスタンの詳細情報
1 面積
652,225平方キロメートル(日本の約1.7倍)
2 人口
3,890万人(2020年 世界人口白書)
3 首都
カブール
4 民族
パシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等
5 言語
ダリー語、パシュトー語(公用語)
6 宗教
イスラム教(主にスンニ派であるが、ハザラ人はシーア派)
7 略史
- (1)長年の他民族による支配の後、18世紀半ばドゥラニ王朝が成立。バラクザイ王朝下の1880年、英国保護領となるが、1919年独立を達成。1973年に王制(アフガニスタン王国)から共和制(アフガニスタン共和国)に移行後、1978年人民民主党のクーデター(サウル革命)により社会主義政権(アフガニスタン民主共和国)成立。1979年ソ連の軍事介入のもとカルマル政権成立。1988年のジュネーブ合意に基づき、1989年駐留ソ連軍の撤退完了。1970年代終り頃から、アフガニスタン国内の混乱を逃れ、隣国のパキスタン及びイランに何百万人ものアフガン難民が流出した。
- (2)1992年ムジャヒディン勢力の軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊、ペシャワール合意に基づく暫定政権(アフガニスタン・イスラム国)が成立するが、各派間の主導権争いにより内戦状態が継続。1994年頃から、イスラムへの回帰による秩序回復を訴えるタリバーンが南部から勢力を伸ばし、1996年首都カブールを制圧、1999年までに国土の9割を支配するに至った。2001年9月の米国同時多発テロ事件を機に、同年10月から米英主導でアルカーイダ及びタリバーンに対する軍事行動が行われ、11月「北部同盟」がカブールを制圧、12月までにタリバーン支配地域が奪還された。
- (3)タリバーン政権崩壊後、2001年12月のボン合意に基づき、移行政権の発足、新憲法の採択・発布、大統領選挙、下院議会・県議会選挙に至る一連の統治機構整備プロセス(ボン・プロセス)を通じ民主化が進展。2014年にはカルザイ大統領からガーニ大統領への民主的な政権交代が実現するとともに、同年末、国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン政府へ治安権限が移譲。2020年2月米国とタリバーンの間で「和平合意」が成立し、同年9月アフガニスタン政府とタリバーンの間で初の本格的な和平交渉が開始。
出典:外務省ホームページ