ハルツーム
(Khartoum)
現在の時間
- 2024-12-04
04:20:21 - 日本の時間は
2024-12-04
11:20:21
日本との時差は
-7時間
(中央アフリカ時間) -
国名、州名
スーダンの首都
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通貨
スーダンポンド(SDG)
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国名コード
SD(SDN)
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国際電話番号(国番号)
249
ハルツームの最新ニュース
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スーダンの村落、準軍事組織の襲撃で124人死亡か2024年 10月 27日アフリカ北東部スーダンで25日、国軍と対立する準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)が首都ハルツーム南郊の村落を襲撃し、活動家や医師らによると少なくとも124人が死亡した。 スーダンでは昨年4月に国軍とRSFの主導権争いが戦闘に発展。今も内戦が続き、双方が民間人の殺害を指摘されている。 現場の村落があるジャジーラ州では最近、RSFの司令官が国軍側に転向した後、RSFの襲撃が激化した。 市民団体「...https://www.cnn.co.jp/world/35225395.html
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「数千人の遺体」が腐敗、遺体安置所の収容能力は「限界点」に スーダン首都2023年 8月 10日激しい武力衝突が4カ月近く続くスーダンの首都ハルツームで、市内にある遺体安置所の収容能力が限界に達した。援助活動の従事者らが明らかにした。数千人の遺体が路上で腐敗するままになっており、医師や慈善組織からはコレラの流行を懸念する声が上がっている。 ハルツームの遺体安置所が「限界点」に達したことは、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」が8日に指摘した。 同団体によれば、遺体安置所に収容された遺体も...https://www.cnn.co.jp/world/35207692.html
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スーダンに初の赤十字支援 外国人数千人が国外退避、住民は首都脱出2023年 5月 1日国軍と準軍事組織の衝突が続くスーダンに4月30日、初めて赤十字の支援物資が到着した。3週間前に始まった国軍と即応支援部隊(RSF)の戦闘が収束する兆しは依然として見えない。 赤十字国際委員会は、8トン分の医療支援物資が30日にスーダンに到着したと発表した。 衝突が続く中、外国人は数千人がスーダンから退避し、首都ハルツームからは1万世帯以上の住民が避難している。 目撃者がCNNに語ったところによ...https://www.cnn.co.jp/world/35203295.html
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国際刑事裁判所が指名手配のスーダン元閣僚、刑務所から解放2023年 4月 27日国際刑事裁判所(ICC)が戦争犯罪や人道に対する罪で指名手配しているスーダンの元閣僚アフマド・ハルーン容疑者が、首都ハルツームの刑務所から解放された。 スーダン与党、国民会議党の党首だったハルーン容疑者は、当時のバシル大統領を失脚させた民主化運動と軍事クーデターの後、2019年に逮捕された数十人の高官の中の1人だった。 ハルーン容疑者は内相や人道担当相を務めていた2000年代初め、スーダンのダ...https://www.cnn.co.jp/world/35203151.html
スーダンの詳細情報
1 面積
188万平方キロメートル(日本の約5倍)
2 人口
4,281万人(2019年、世銀)
3 首都
ハルツーム
4 人種・民族
主としてアラブ人、ヌビア人、ヌバ人、フール人、ベジャ人等(200以上の部族が混在)
5 言語
アラビア語(公用語)、英語も通用、その他 部族語多数
6 宗教
イスラム教、キリスト教、伝統宗教
7 略史
年月 | 略史 |
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16世紀頃 | フンジ・スルタン国が栄える(現在のセンナール州中心) |
17世紀頃 | フール・スルタン国が栄える(現在のダルフール地方中心) |
19世紀頃 | オスマン・トルコ帝国支配下のエジプトの侵攻(1820年)を受け、北部スーダン(現在のスーダン)が支配下に組み込まれる |
1881年~1898年 | 「マハディ(救世主)」と称するスーダン人指導者ムハンマド・アフマドが武装蜂起、マハディ国家を建設するも、英国が鎮圧 |
1899年~ | 英国・エジプト共同統治開始、1922年から南部スーダン封鎖 |
1955年8月 | 南部スーダンの自治・独立を求めて、軍将校と警察の一部が武装蜂起、第一次内戦勃発(1972年終結) |
1956年1月 | スーダン共和国独立 |
1958年11月 | 軍事クーデタによりイブラヒム・アッブードゥ軍事政権成立 |
1965年4月 | 総選挙によりウンマ党・国民統一党連立内閣成立 |
1969年5月 | 軍事クーデタによりガファール・ニメイリ軍事政権成立、「スーダン民主共和国」に改称 |
1972年2月 | アディスアベバ和平成立、第一次内戦(1955年開始)終結 |
1983年1月 | ジョン・ギャラン国軍大佐率いるスーダン人民解放運動・軍(SPLM/A)が、南部スーダンの自治獲得を目指してスーダン国軍を攻撃、第二次内戦勃発(2005年終結) |
1985年4月 | スワール・ダッハーブ国防相による軍事政権成立 |
1985年12月 | 国名を「スーダン共和国」に戻す |
1986年5月 | 民政移管によりサーディク・マハディ政権発足 |
1989年6月 | 軍事クーデタによりオマル・バシール軍事政権成立 |
1993年10月 | バシール中将が大統領に就任 |
1996年3月 | 総選挙実施、バシール大統領再任 |
2000年12月 | 大統領選挙実施、バシール大統領再選 |
2002年7月 | マチャコス議定書の締結(本格的な南北スーダン和平プロセス開始) |
2003年 | ダルフール地方で武装勢力の活動が活発化 |
2004年7月 | アフリカ連合(AU)が停戦監視等のための部隊(AMIS)派遣決定 |
2005年1月 | 南北包括和平合意(CPA)成立、バシール大統領が南北統一政府大統領に就任 |
2005年4月 | 国連安保理が国連スーダン・ミッション(UNMIS)を設立する決議第1590号を採択 |
2005年7月 | 南北両勢力による国民統一政府成立、ギャラン第一副大統領兼南部スーダン大統領就任 |
2006年5月 | ダルフール和平合意(DPA)署名 |
2006年10月 | 東部スーダン和平合意(ESPA)署名 |
2008年1月 | ダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID)がAMISより指揮権を引継ぎ、展開開始 |
2009年3月 | 国際刑事裁判所(ICC)がバシール大統領に対する逮捕状を発布 |
2010年2月 | スーダン政府がドーハにおいて一部ダルフール反政府勢力と即時停戦等に署名 |
2010年4月 | 総選挙実施、バシール大統領再選、キール南部政府大統領当選 |
2011年1月 | 南部スーダン住民投票実施、南部スーダンの独立決定 |
2011年5月 | スーダン国軍がアビエ地域占拠 |
2011年6月 | 南部2州(南コルドファン州及び青ナイル州)で武装勢力の活動が活発化 |
2011年7月 | 国連安保理でアビエ暫定治安部隊(UNISFA)を設立する決議第1990号、及び国連南スーダンミッション(UNMISS)を設立する決議第1996号採択 南部スーダンが南スーダン共和国として分離独立 |
2011年7月 | ダルフール和平に関するドーハ合意文書(DDPD)署名 |
2012年9月 | 南北両国政府が、二国間の未解決課題に関する包括的な9つの合意文書に署名 |
2013年3月 | 南北両国政府が、2012年9月協力合意の履行マトリクスに署名 |
2015年4月 | 総選挙実施、バシール大統領再選 |
2015年10月 | 国民対話開始(2016年10月まで) |
2017年3月 | サーレハ第一副大統領が首相を兼任、内閣改造 |
2018年9月 | 内閣改造・省庁統廃合、ムウタズ・ムーサ水資源・灌漑・電力相が首相に就任 |
2019年2月 | バシール大統領が非常事態宣言を発出 |
2019年4月 | バシール大統領が解任され、暫定軍事評議会が発足 |
2019年8月 | 暫定軍事評議会(TMC)と「自由と変化宣言」勢力(DFC)が「政治合意」と「憲法宣言」文書に正式署名 ハムドゥーク新首相就任 |
2019年9月 | ハムドゥーク新首相が新暫定政府を設立 |
2020年6月 | 国連スーダン統合移行支援ミッション(UNITAMS)の設立が採択 |
2020年10月 | 南スーダンの首都ジュバで、暫定政府とSRFとの間で8月の和平協定に関する最終合意が署名される(3日) |
2020年10月 | トランプ米大統領がスーダンをテロ支援国家リスト(SSTL)から除外する意向を表明 |
出典:外務省ホームページ